温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

置きレス卓についての所感

 最近、置きレス卓(返せるときにレスを返す自由参加型テキストセッション)を体験する機会があったので、やってみた上での所感と、実際に置きレス卓を行うときのコツを少々書いていこうと思う。

◆置きレス卓に必要なもの

コミュニケーションツール
 Discord、Skypeなど。

ダイスBOT
 ダイスを振るアプリなどの画面をスクリーンショットにして送るという手もあるが、もちろんめんどくさい。DiscordやSkypeなどには、アプリ上でダイスロールができるものがあるので、こだわりがないならBOTを利用するが吉。

キャラクターシート、メモ
 今どのくらいの進捗で、ステータス変化はどのようになっているのかは、なるべくすぐに参照できる場所に置いておくとよい。

モチベーション
 保つのは大変。

マメさ
 セッションを進行させるためには、もちろんこまめに返信する必要がある。1日1回程度は最低でも確認するくらいのマメさを発揮できないのなら、ちょっと向かない可能性あり。

 

◆置きレス卓に向いているアプリ

●Discord:正直を言うとこれでしかやっていないので、他のコミュニケーションツールでやる場合のことについて詳しくは言えない。
 少なくともDiscordにはダイスBOTが導入できてアプリ上で簡単にダイスロールできるようになるし、チャンネルのテキストログを取得できるツールもあるので、やるには不足は感じなかった。

ココフォリア:チャットの更新通知は来ないが、やはりセッションを行うにあたってこれほど便利なモノもない。ステータス管理もやってくれる。マメに確認することさえできるのなら、ココフォリアはひとつの選択肢になり得るだろう。

 

◆置きレス卓の長所

背景、BGM、立ち絵の用意がほとんど要らない

 個人的にはこれだけの要素が大きなアドバンテージに感じている。チャットアプリの画面を使うので、画像ファイルを送って場面説明をすることはできるが、無理してBGMを流したり、背景をいちいち流す手間よりも流石に手軽さが重要になってくる形式だろう。

 雑に用意して雑に始めても、「だってただのコミュニケーションツールだし」で許せる気がするのはだいぶハードルが低くなると思う。

スキマ時間にできる手軽さ

 置きレス卓で一番知られている長所がこれだろう。参加時間は自由で、返信するヒマさえあればいつでもチャットルームに入ってロールプレイを行える。

 

◆置きレス卓の短所

停滞しやすい

 置きレス卓は参加時間が自由で、スキマ時間にもやりやすいが、それだけに進行が滞りやすく、また、モチベーションを保ちにくい。
 例えば、3人のプレイヤーが置きレス卓でシナリオをやっている時、3人のPCがそれぞれ同じ判定をしなければならないタイミングがあったとする。3人の参加時間はバラバラで、Aさんが朝の6時、Bさんは昼の12時、Cさんは夜の8時に変身してそれぞれ判定を行ったとすると、3人それぞれの判定の結果が出るだけでも実に半日以上の時間がかかることになる。
 これを繰り返すため、非常に進行が滞りやすいのだ。

終わりが読めない

 大抵のシナリオには、目安として所要時間が書いてあるものが多い。それを見れば、実際に行うときのセッション形式に合わせてどの程度の時間がかかるのか、セッション回数は何度必要か、ということが分かるようになっていると思われる。
 ボイスセッションで1時間であれば、テキストセッションでスムーズにいくなら3、4時間。オンラインセッションで多い3~4時間セッションで分割して行うなら、テキストセッションでだいたい2回程度で終わるな、とあらかたの予測を立てられるだろうが、置きレス卓はそうもいかない。
 こまめに返信が続けばスムーズに数日で終わることもあるが、誰もが置きレス卓に積極的に参加できるとは限らない。中には、終わりが見えなくてモチベーションをだんだんと失い、返信頻度が下がってしまう人もいるだろう。
 スキマ時間に進められるという利点はあるが、それは個々の事情によって進行速度に影響が出て、終わりが読みにくいということでもある。

相手が蒸発しがち

 置きレス卓というのは、だいたい相手が蒸発するもの、というウワサがある。私は運よくそのような憂き目にあったことはないが、関係が軽薄なオンラインセッションではよくある話なのだろう。
 置きレス卓は、前述したとおり進行が滞りやすく、また終わりが読めない。その途中でモチベーションを使い果たして、だんだんと返信頻度が下がっていき、ついには無言で消えてしまう人もいるようだ。

 

◆置きレス卓をやるための工夫

プレイ人数は少人数がおすすめ

 テキストセッション、ボイスセッションと違って、参加時間は自由のため、それぞれの参加頻度にはムラができる。
 3名以上のプレイ人数だと、チャットルームに入ってみれば自分以外のプレイヤーやGM同士でロールプレイして随分盛り上がっていた形跡があって、ちょっと置いて行かれた気分になる、ということはあるかもしれない。
 基本的に、GMとプレイヤーが1人ずつで行う1on1のシナリオなどが無難だ。間違っても多人数シナリオを無理して回そうと考えてはいけない。地獄を見る。

シナリオは短時間のものを

 試しに置きレス卓なるものをやってみたい、と思ったのなら、シナリオはまずクトゥルフ神話TRPGの「30分クトゥルフ」など、ごくごく短めのシナリオで軽めに行うとよい。これならこまめに返信を重ねれば、だいたいは2、3日で終わる。また、シーン制など、だいたいの進行具合が掴みやすいシナリオもおすすめだ。

信頼できる人、慣れた人とやるのには良いかもしれない

 逆に、初見相手にやるのはあまりお勧めしない。前述したとおり蒸発されてしまう可能性が上がるし、何よりお互いのクセや嗜好が分かっていないと、モチベーションを保ちにくい。停滞する原因はいくらでも作れることになる。
 いつもセッションする相手など、遊び慣れた相手とやるのが本当は一番望ましい。一番難しい点でもあるが。

●返信頻度、中止についてなど、ルール設定をしておくのがオススメ

 ボイスセッションやテキストセッションなどと比べ、置きレス卓は遅々として進まないものだが、プレイヤーの飽きやらモチベーションの低下による停滞を招かないためにも、やはりあらかじめ置きレス卓を敢行する前にルールの設定をしておくのが良いと思う。
 参考までに、私のやった置きレス卓の進行ルールを以下に記しておく。

・参加時間は自由

・掛け合いの上限なし、適当なところでGMが場面を切る

・ステータスが変化した場合は随時変化前、変化後を報告

・1日1回は確認、返信を行う

・1週間返信がなかった場合は打ち切りエンドとなる

TRPGシナリオの作り方

 シナリオを考えているとだんだんと煮詰まってきて、それまで考えていたことと考えていることが、どんどん頭の中で混沌と化してきたので、いったん筆を置いて、シナリオの作り方について、備忘録をまとめておくことにする。

 シナリオを作れるのは才能だと、限られた人にしかできない芸当のように言われるが、そんなことはない。「俺の考えたスゲー面白いシナリオ」さえ頭の中にあるのなら、誰でも作ることができる。
 逆に、まず「俺の考えたスゲー面白いシナリオ」は絶対にあなたしか思いつかないし、したがって、あなたしか作れないので、「思いつく」という段階から、もう世界でたったひとつのシナリオが始まっていると言えるのだ。
 そこでシナリオ作りを「才能」で片づけ、ダイヤの原石を埋もれさせてしまうのは、あまりに勿体ないことだと思えないだろうか。

 それでは、以下に、TRPGシナリオを思いついてから、完成まで漕ぎつけるための流れをご説明しようと思う。
 シナリオの作り方は人によって違うため、以下に示したことが正解というわけでもなく、あくまで1例である。読者諸氏には、ご自身のやり方をどうか追及していただきたい。
 それはそれとして、世の中のゲームマスターには、メモ用紙1枚にだいたいの流れを書くだけで、あとは全てアドリブでやってのける人もいるが……素人にマネできるものでも、猿マネしたところで上手くいくものでもないので、あくまで堅実に、「書いて、投稿サイトに不特定多数が読める形で公開できる程度のシナリオ」の作り方を説明する。
 先人は後世にこう残した。「異端を攻(おさ)むるはこれ害のみ」と。

◆思いつく

 まず「思いつく」ことからシナリオ作成は始まる。思いついた「ネタ」というのは、言うなればシナリオの原石だ。これから思いついた本人が磨き、形にしていかなければ、そのシナリオは絶対に生まれない。

 そこで「どうせ私がシナリオなんて書けない」と、思いついたネタをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にダンクしてしまうのは、あまりにも勿体ない。この世界でそのシナリオを思いついたのは、間違いなくあなたひとりで、それをシナリオにできるのも世界であなたひとりなのだ。それを忘れてはいけない。

「でも私が思いついたことなんて、私の前に誰かがやっているはずだし」……と、思わなかっただろうか? その気持ちも分からないでもないが、ではあなたは、その何番煎じか分からないネタでシナリオを書いて、「他の人がすでに作り上げているシナリオを完全にコピー」できるだろうか?

 シナリオとは新しいことが全てではない。同じようなテーマ、同じような内容でも、完全に盗作したのでない限りは、そこに必ずあなたが書いたからこそのオリジナリティがあるはずだ。2番煎じ3番煎じどんとこい。寧ろ多くの作品が出ることで、取捨選択の余地が生まれる。
「自分はこんなことをしたい」という気持ちを最後まで信じ切ることが、シナリオ作成において一番重要なことなのである。
 文才とか発想力とかそういう問題ではない。シナリオを思いついた。そこからもう、ペンを握っていようがいなかろうが「シナリオ」は始まっている。

*1

 

◆書き連ねる

 それはともかくとして、思いついたネタはそのままにしてはならない。とにかくチラシの裏でもメモでも、後ですぐ見返せる場所にそのネタを書いておく。現代であれば、大抵の人がスマートフォンを所持しているので、スマートフォンのメモ帳にでも書いておけばなお有効だろう。現代社会人であれば、ふとした時にスマートフォンを見るからだ。

 さて、あなたはどのようなシナリオを思いついただろうか? シナリオの本筋に大きく関わるテーマ? 登場するキャラクター? シナリオのギミック? それとも、シナリオの難易度?
 何にせよ、まずそのひとつが決まっている時点で、あなたはシナリオ執筆の第1歩を踏み出したのだ。あとはそこに、たったいま書いたネタから、枝を生やし根を生やし葉っぱをつけていけば、1本のシナリオになるのである。

 

◆あらすじを書く

 ある程度シナリオのイメージができあがったところで、シナリオがどのような場面から、どのような雰囲気でプレイヤーキャラクターを巻き込んで始まるのか、あらすじを書いておく。あらすじは、ネタバレにならない範囲で、プレイヤーがシナリオの内容が自分に合ったものなのかを知るために注視するところだ。ここはしっかりと、どのような雰囲気で、どのようなシナリオで、何がテーマなのかを分かりやすく書いておくのが良い。

 いや、どんな感じで書けばいいんだよ、と思った方はとりあえず映画館にでも行って、無料で配られている映画のチラシで面白そうなものをいくつか取ってくるといい。たいていのチラシには映画のあらすじが書かれているだろう。あれを参考に書きあげるのだ。
 外に出るのが面倒ならば、ルールブックが手元にあるだろう。公式シナリオにご丁寧にあらすじやトレーラーなるものが書かれているなら、それと自分の中にあるシナリオの導入部分の説明を混ぜて作ればいい。

 あらすじの締めにおすすめなのは、続いていくことを感じさせる「引き」のあるあらすじだ。「どうなる、○○!」とか「○○の命運は、あなたたちに託された!」とか、そういうやつだ。

 

◆シナリオ概要を書く

 だいたいどのくらいの長さで、何人で遊ぶのを想定したシナリオで、シナリオの中にはどんな要素が含まれていて、シナリオを作るのに使用したルールブック、あるいは関連サプリメントは何なのか(時折、基本ルールブックに加えて、『サプリメント』という追加データブックなどを使用しているシナリオを見たことがないだろうか)……そのあたりをあらすじの近くに書いておく。

 これはシナリオをプレイする人が、シナリオの概要が自分のニーズに合っていて、プレイできるものなのかを確かめるために見る。

 例えば、ほんの1時間程度で終わるような短いシナリオを探している人もいるだろう。そんな人はこのシナリオ概要を見て、自分の希望に合っているか、許容範囲であるかを確かめるはずだ。

 この辺りはシナリオを楽しんでくれる人と巡り合うために必要な情報なので、しっかりと書いておくことをお勧めする。

 

◆シナリオを書き始める

「シナリオを書き始める」の順番を後に書いているが、別にあらすじやシナリオ概要を作る前にシナリオを書き始めても構わない。
 ただ、ひとまず短く済むところから始めて、シナリオのイメージを固めていく作業は、シナリオの内容がまだ漠然としている段階では有効であるため、この順番としている。

 ついに、シナリオの全体像を作っていく作業に入る。これは小説の執筆作業でいうところの、「プロット~執筆」の段階である。
 それぞれの場面が切り替わるような、シーン制を導入しているシステムなら、まず入れる予定の各シーンを、縦に十分な間を空けて記入する。物語のプロットでいう「起承転結」だ。「導入シーン」「ミドルシーン1、ミドルシーン2…」「クライマックスシーン」「エンディングシーン」といったふうに。

 そして、あらすじに書いた導入部分をそのままシナリオの「導入」シーンの欄に書く。その後、プレイヤーキャラクターがシナリオの中の事件に巻き込まれてからどうなるのかをその後のシーンに埋めていけば、シナリオの大体の形ができていく。

 

 シーン制ではないクトゥルフ神話TRPGも、ぶっちゃけ構成自体は「起承転結」だ。
 探索者が何かに巻き込まれ(起)、すったもんだし(承)、何とか危険な状況に抗って(転)、生き残る、あるいは死ぬ、発狂する(結)。

 だからCoCのシナリオもとりあえず、小説のプロットを書くのと同じで「起」「承」「転」「結」と間を開けて並べて、「起」に探索者が事件に巻き込まれるまでを書き、「承」に探索者が事件に関する情報収集をするところを書き、「転」に探索者が生き残るための戦いに身を投じるところを書き、「結」に「承」と「転」での探索者の動きを受けてどのような結末になったのかを書けばいい。

「転」が思い浮かばない? 何もおかしいことではない。「承」から「結」に繋げられるのではないだろうか? それなら全く問題ないのだ。

 そして、この段階では、「○○が××した」「ここで○○を登場させる」といった、簡素な文で構わない。これは後の段階で文章を整えて、それっぽくすればいいのだから。

 

◆整える

 ある程度できあがったら、今度は文章の形を整えていく。よくあるような語り口調で、場面の描写を入れ、探索できる場所の描写を入れる。
 公式シナリオがあるのなら、それを参考に書きあげればだいたい正解だろう。
 公式シナリオは、システムの雰囲気や判定形式などに合わせて整えられている。それをマネしておけば、勝手に「読みやすい」シナリオになるはずだ。……ある程度は。

 

◆シナリオ完成

 シナリオが完成したら、できれば自分でGMをやって、ミスや修正した方がいい箇所がないかを確かめる。

 何度か読み返して誤字や脱字くらいは直せるかもしれないが、シナリオの難易度調整なんかは、やはりテストプレイしてみなくては分からない。

*1:そもそも思いつくことがないけれどシナリオを書きたいというときは、公式シナリオを眺めて、どこかを自分なりにアレンジできるかを考える。公式シナリオが沢山あるのなら、それぞれの要素を混ぜても良い。シナリオ作成の良い練習になるため、おすすめだ。

アイデアがひらめきやすい場所「4B」

 私は、気が向くとシナリオを量産し始める。しかし、いくら気が向いているからといって、やはりどこかで行き詰まることも、やり直しになってモチベーションが下がり、遅々として作業が進まなくなってしまうこともある。
 そういうとき、コンピューターの前で鎮座して、煩悶しているだけでは、いい考えはなかなか浮かばないものだ。

 

 実は、アイデアが浮かびやすい場所というのはある程度決まっているそうだ。
 昔から「作文三上(さくぶんさんじょう)」という言葉があって、文章を練る(考え事をする)のに、適した場所が示されている。この「三上」というのは、馬上(馬に乗っているとき)、枕(ちん)上(寝床に入っているとき)、厠(し)上(便所にいるとき)をまとめたものを言う。

 

 現代では「作文三上」と似た言葉で、「創造性の4B」がある。これもアイデアが生まれやすい場所のことを指していて、それぞれ

●Bathroom(入浴中、トイレ)

●Bus(移動中)

●Bed(睡眠中)

●Bar(飲酒中)

をまとめて「4B」というのだ。

 これらの場所の共通点として、「リラックスできる場所」という条件が挙げられる。
 要するに、人はぐるぐる根を詰めて考えるよりも、とりあえず歩き回ってみたり、ドライブに行ってみたり、一旦作業を切り上げて休憩を入れ、入浴や仮眠をとるなどした方が頭を切り替えやすく、良いアイデアが浮かびやすいということである。
「根を詰めすぎてはいけないよ」と、頑張りすぎないで肩の力を抜くように忠告する言葉があるが、人は真剣になりすぎるとうっかりムダな体力をすり減らし、余計に効率を落としてしまうことがあるからかもしれない。

 

 30分以上進まない作業に行き詰まって、新しいアイデアが欲しくなった時、読者諸氏も、この「4B」を思い出し、ダメでもともとで試してみて頂きたい。
 私も不思議なことに、シナリオのアイデアなどはコンピューターの前よりも、移動中や入浴中によく浮かぶ。

楽しいシナリオのつくりかた

 TRPGのシナリオ作りや、すでにあるシナリオの改変をすることは、ある程度TRPGを続けていれば1度や2度あるだろう。
 そこで最も重要となるのは、やはりそのシナリオをプレイするであろう“誰か”への「思いやり」だと、私は思っている。
 ここでの思いやりは、具体的には「このシナリオをプレイする人はどのようなシチュエーションを喜ぶだろうか」とか「プレイヤーはこのシナリオに何を求めるだろうか」などといった思案のことである。プレゼント選びのときの悩みにも似ている。シナリオをシナリオ執筆者からプレイヤーたちへの「プレゼント」と例えるなら、理解できないでもないか。

 執筆段階では、それらの思案は全て執筆者が行わなければならない。だって、執筆途中でプレイヤーを引っ張ってきて、出来上がってもいないシナリオに付き合わせ、打ち切り状態のセッションを指して「意見をくれ」と言うわけにもいかないだろう。
 だから執筆作業は、TRPGの中では必ず孤独なものとなる。
 だがそんな孤独な作業でも、シナリオを完成させ、プレイする段階になった時、GMレスのソロプレイでもなければ、それは必ず自分以外のプレイヤーが関わるものだ。
 そうした時に、いかにプレイヤーがそのシナリオを楽しんでくれるかというのは執筆段階で操作こそできないが、楽しめるように工夫することはできるはずである。

 

 そこを、「いかにプレイヤーキャラクターをシナリオの歯車として取り込んでやろうか」とか「いかにプレイヤーを苦しめてやろうか」とか考えると、そういう気持ちは必ずシナリオに組み込まれた“悪意”としてプレイヤーに伝わり、つまらなくなる。

 勘違いしてはならない。セッションの成功、良いシナリオの条件が「プレイヤーがプレイして楽しいと思えるようなもの」だと執筆者が思うのなら、執筆者が設定すべきは「プレイヤーがシナリオの困難を乗り越えて気持ちが良い、楽しいと感じられる」障害だということだ。
 シナリオ執筆者にしか分からないようなヒントのないなぞなぞを出したり、プレイヤーキャラクターをシナリオのモブキャラクターとして取り込もうとすると、それは必ずどこかのプレイヤーを不快にさせる。

 良いシナリオにしたいと望むなら、シナリオ執筆者はプレイヤーが楽しめるように考えた方が無難だし、もしやろうとしているシナリオに執筆者がついうっかりそういう悪意を滲ませてしまっていると気づいた時には、GMはあくまでプレイヤーにバレないように、そっとその悪意を抜いてあげることも必要になってくるかもしれない。

2024/3/3コンベンション感想:トーキョーN◎VA【13mmの死神】

 コンベンションに参加すると、自分が持っていないルールブックのシステムでも体験しやすい。コンベンションに参加するようになってから、天下繚乱、異界戦記カオスフレアソード・ワールド1.0、モノトーンミュージアムなど、ルールブックは持っていないものの1回は体験したことのあるシステムが増えていく。オフラインセッション形式となるコンベンションは、TRPGの多くのシステムに触れる機会を作ってくれる。その点において、やはりネットでのオンラインセッションではなかなか実現できない魅力があると感じている。

 

 さて、3月3日、ひなまつりの日に赴いたコンベンションだが、この日はいつも以上に人が集まり大盛況だった。コンベンションに長く参加されている方も、「コロナ禍前の賑やかさが戻ってきた感じがする」と仰っていた。
 この日はボードゲームも含めてブレイド・オブ・アルカナ新版のキャラクター作成と簡単なシナリオ、最近出た新しいTRPGシステム「夜のあしあと」の公式シナリオ、トーキョーN◎VAで新しく出たシナリオ集に収録されているシナリオ、SW2.5のサプリメントに収録されている公式シナリオと、悩ましいほど多くのシステムで立卓。
 私は悩んだ末に、トーキョーN◎VAの卓に参加させていただいた。

 

 ざっと体験してみた感想としては、世知辛い時代の近未来サイバーパンクものTRPGといった感じ。
 判定にダイスを使わず、トランプによる判定をするところがなかなか特殊。自分の手元にある手札から対応するスートとなるべく高い数字のカードを出して、高い達成値を目指す。ダイスと違って次に出る出目が分からないということはなく、手札が腐っているかどうかで判定の成否が決まる。出せる達成値がおおかた見えているのは好ましいことなのかどうかについては、人によって意見が分かれるか。
 曖昧な効果の「神業」の使い方によって、シナリオの結末に少し干渉できるというシステムも新鮮だった。というのも、データはデータなのだが、ナラティブ色がそこだけ強いというか、「世界を救う」とか「あらゆる攻撃を防ぐ」という効果なので、使い方にある程度自由が利くようにデザインされているのだ。それゆえに、神業をいかに使いこなすかは経験が必要になってくるだろう。
 私はこの卓でブラックハウンドという警察組織に所属する隊員をしたが、メモを見るに上司NPCに関する所感として「細野隊長…ケチ。」「稲垣光平…クソ上司。」と書いてあった。上下関係の厳しい社会であったらしい。

 

PC1:シロ

 結城あやというアイドルのライブに取材に来た記者。クローン体の5歳だが、成人女性と同じ程度の外見年齢。
 世知辛いサイバーパンク世界でたくましく生きるため、常に録画、録音をして人の弱みを握ろうとする。
 開始早々PC2のブラックハウンド隊員の弱みを握り、護身交渉を成立させる見返りに、結城あやのコンサートチケットを渡す。
 他者の神業の使用回数を復活させる神業をもち、クライマックスで上手く使ってNPCの命を救った。

 

PC2:真田・プロキオン・良留(よる)

 世知辛いサイバーパンク近未来世界の、さらに上下関係が厳しく世知辛いブラックハウンドで働く可哀想なブラックチワワ。元ヤクザ関係者だが、跡目争いから逃げるように足を洗ってブラックハウンドをしている。その経験から結構ガラが悪いが、今回においてはただキャンキャン負け犬の遠吠えをし続けている可哀想な立場に収まる。
 だってシナリオ中での立場があまりに残念不憫枠なんだもの。
 敵の攻撃で死亡しかけたり、かと思えば何気なく出したダメージで敵を一発で殺しかけて狼狽し、他のPCの神業で助けてもらったり、終始どこかカッコつかない結末に。
 リサーチシーンで上司のクソさで先輩と意気投合し、料亭で飲み明かした後、「クソ上司ィ!」と叫びながらクソ上司を「インヴァネラブル(難攻不落)」で護り抜き、無事上司の護衛任務を達成した。
 サイバーパンク近未来ではなかなかお目にかかれなさそうな世知辛さを体験できた回であった。

 

PC3:メテオラ・ダークマタースターゲイザー

 世知辛いサイバーパンク世界で、たくましくのらりくらり生きる宇宙人。義眼デブらしい。世界破壊兵器を腹の中に呑み込んで収納したり、口から謎レーザー砲を放ったりやることは終始派手なコメディだが、最後にPC2がうっかりで殺しちゃったNPCの命をちゃんと助けてあげ、回収した破壊兵器を腹に収納したまま「なんとでもなるさ」と宇宙に去っていく姿はムダにカッコよかった。

クソゲーをいかに楽しむか

 というマインドは、結構使えると思うのだが、どうだろうか。

 ……と、ファミコンスーパーファミコンのスーパー・電源ゲーム・黎明期のプレイ動画を見ながら漠然と思っている。

 TRPGにもクソゲーはあると思っている。いや、TRPGのシステムの何かひとつをこき下ろすつもりはない。
 ただ、この世にKOTY(クソゲー・オブ・ザ・イヤー)というものがあるかぎり、というか、人の趣味嗜好が千差万別であるかぎり。誰かにとっての「クソゲー」はいつの時代にも存在すると思っている。そしてそれは、なにも電源のあるゲームに限った話でもなかろう。

 

 TRPGクソゲーとは何だろうか。TRPGというものは土台をデザイナーが調整したゲームで、一般人からデザイナーまで幅広い人々が、多くのシナリオを世に出すので、シナリオごとにバランスが大きく変わってくるということもあって「クソシナリオ」のほうがあり得るのかもしれない。
 判定ひとつでPCがロストさせられるとか、ロスト率が異常に高いとか、異常に不親切だとか、まあ色々と。

 それをクソゲー要素と断じる条件にするか否かについては、やはりひとりの人の嗜好のみに絞って判断しきれないものだと思う。それをクソだと断じる人もいれば、条件次第で面白いと感じる人もいれば、別に気にならないと感じる人もいるのだろう。

 実際のところ、ファミコン時代とか言われる電源ゲーム黎明期は、クソゲーの全盛期でもあった。ゲームバランスが滅茶苦茶なのは当たり前、ちょっと進めば雑魚すら倒せなくなり、雑魚から手に入る経験値がしょぼくなるのも当たり前。昔は今と比べて、ゲームを作るにあたりゲームバランスが洗練されていなかったため、そんなゲームが世に送り出され、そしてそれが当然のように受け入れられていた時代だそうである。

 

 ……要するにクソゲーというものは、その要素に慣れてしまえばそれほどクソではなくなる、ということなのではないか?
 あるいはより快い感覚を知りさえしなければ、クソな作業ゲーだろうがクソなバランスだろうが当たり前のように感じられるのではないか?

 

 そんなマインドは、TRPGにも使えるのではないだろうか。

 ……とはいえクソ要素に当たった時に、「あー慣れた。俺これ慣れたわ」と自己暗示するわけにもいかないし、慣れにも最初は苦しい時期もある。

 そういう時に「セッションを継続することを前提」として私が思いつく対処法は、やはり「覚悟」これ一点のみである。
 クソ要素にあたってしまった。またはシナリオがとんだ地雷だった。だが辞退はするほどでもない、あるいはしたくない。GMや他のプレイヤーにも不快感は抱かせたくない。ただクールにスマートに受け流したい……。

 そんな時こそ「覚悟」なのではないだろうか。さながらバンジー直前の恐怖を飲み込むがごとく、さながら清水の舞台から飛び降りるがごとし。一点集中でその綻びに対して目を逸らすか、真正面から立ち向かう覚悟を決め、ただその厳しい現実を右から左へと受け流す。日本男児の心意気。

 西に暴言暴力足手まといヒロインあれば、行って思いっきり茶化してやり
 東に高ロストのシナリオあれば、「どうせ死ぬんだから心配しなくてもいい」と言い
 地雷を踏んだら切り替えて、茶化すかその要素を別ベクトルで楽しむことにするかは自由である。

 なんにせよ、土壇場でも楽しむマインドはTRPGという娯楽以外においても有用なものだろう。

 

 まあ冗談はさておき、そうして耐えられるのならまだしも、「覚悟」や「忍耐」で片付かないようなクソ要素であるのなら、悪いことは言わないから悲しみを押して辞退することも視野に入れることができる、という前提はあるべきだ。思いやりをもってシナリオを作ろが、それでおまんま食ってるプロのデザイナーだろうが、やはり万人受けするようなゲームは作れない。だからと言って開き直って明らかにクソと分かっている要素を織り交ぜるのは全く感心しないが、世には「誰かの好きは誰かの地雷」という言葉があるように、思わぬところで地雷を踏み抜くこともありえるのである。

 その地雷を踏み抜いてしまった時こそ、人の品性が出るのだと思う。

面白いことをするのではなく、面白いタイミングを逃さないこと

 ルーニーと呼ばれる人たちの特徴はいつも「ウケ狙いで面白いことをしようとすること」にある。それがウケれば成功だし、成功したロールプレイは所々で物語を彩り、他の参加者を楽しませる「華」となる。

 その花形を目指して、面白いことをしようとする人は多いのだろう。
 が、奇を衒おうとしすぎて失敗し、逆に嫌がられてしまい「劣化ルーニー」となる人がいる。

 で、「劣化」ルーニーと呼ばれる人たちがなぜ失敗するのかというと、シリアスシーンでもふざけ倒したり茶化したりしてしまうからである。その他にも、ふざけすぎて度が過ぎた行為に発展してしまったとか、加減を見誤ったとか、色々と原因はあるだろう。

 

 面白いことをして本当に面白くなるのは、周囲がそういう言動に寛容になっているタイミングに挟みこんでいるとか、決めるときはちゃんと決めるとか、「システムの世界観、ならびにシナリオの雰囲気、同卓者の気分を著しく損なわない」から成り立つことである。

 お笑い芸人の芸にも通じるような気がする。あまりに場の空気を読み取れない言動をする芸人は、時折失敗して大炎上を巻き起こしている。

 

 要するに、上手く「面白いこと」をしたいと望むのなら、「空気を読む」能力は不可欠なのである。
 常に面白いことをしようとして、シリアスシーンでも茶化して同卓者の気分を害してしまうのではなく。幕間でちょっとふざけてみたりはするが、シリアスシーンではちゃんと真面目な一面を垣間見せて、ただの気狂いではないほうが味になる。

 デッドプールがあれほどまでに流行ったのも、そういう一面があるからである。私生活は下品で低俗で、ヒーローらしからぬダメダメな男ではあるものの、恋人に対して一図でひたむきで、正当な怒りも子供に対して真っ当な考えも一応持ち合わせているからこそ、ギリギリの危ういラインでヒーローに留まり(?)、シリアスシーンもきっちりこなせるキャラクターではある。彼から正当な怒りとギリギリ真っ当な正義感を取り払って、ただの戦闘狂にしてしまったら、それほど流行らなかったことだろう。
 下品で低俗でも、時に正当な怒りや論拠を見せてくるから、それが意外性として楽しめるのである。

 

 上手く面白いことをしたいのなら、「面白いことをする」のではなく、「面白いことができるタイミングを読み取る能力を磨く」とよい。
 要するに、面白いことをするには「空気を読む」能力は必須である。