温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

程よい距離感

 結論、人付き合いにおいては「近づきすぎてはならない」というのが鉄則である。
 人と関わる上で、親しくなるためにはそりゃあ心の距離が迫っていればいるほどよい、と判断する人もいるだろうが、近づきすぎればそれだけ、相手の粗が見えてしまったり、問題が起きた時に抜き差しならなかったりしてしまう。
 恋人の破局がだいたい派手に心の傷を残していくのは、このせいだと思っている。

 知覚に居る以上、相手の粗も見えることだろう。許せないことだって出てくるだろう。しかし、それを「許す」努力をするよりも、そっと目を逸らせる距離を保つことは、人間関係の維持に置いて大切なことだと思う。

 

 私もそれを理解しているはずなのだが、他人の問題に深く関わりすぎてしまったり、そういう時にすんなり後ずさりすればいいものを意地を貫き通してしまったり、結局人との距離感を掴むことが下手くそな人間ではある。

 よく「人との距離感を見誤る人」が問題視されたり、人との適切な距離感を測る能力に欠ける精神疾患も紹介されるが、人間関係と言うものは「近すぎても遠すぎても毒」となる。

 人間というのは愚かなもので、相手との密接な距離感ができてしまったとき、自分と相手の許容範囲を混同しがちだったりもする。

「この程度なら許してくれるだろう」という危険な予測で、次第に相手の忍耐を要求してしまうこともあるのだ。自分が知らないうちに距離感を見誤り、自分が知らないうちに相手に我慢を強いて、知らないうちに破局を招く。そういった程度の話は、残念ながらこの世に溢れている。

 

 人には「パーソナルスペース」というものがある。簡単に言ってしまえばそれこそ「適切な距離感」だ。それは人によって違うだけに、見誤りやすいのである。

 大雑把にAという人の適切な距離感が、半径1mだとしよう。Bという人は半径3mくらいの浅さで柔らかく人に付き合いたいのに、Aという人は1mくらい近づかないと安心できないためグイグイ来る。Bという人はどんどんと距離を狭められ、窮屈になっていく。読者各位もどこか聞き覚えのある話ではないだろうか?

 具体的に言ってしまえば、BはAを尊重して敬語で話しているのに、Aは出会ってそれほど経っていないのにもう敬語を捨ててタメ語で話しかける、悪いときにはセクハラ発言をしてしまう、といったことだ。

 そのあたりを「適切な距離感を相手と一緒にすり合わせて、ゆっくり保っていきましょうね」と言っているのが、かの有名なことわざ「親しき仲にも礼儀あり」である。

キャラクター作成のバランス感覚

 今回は、「強すぎて他者の見せ場を奪うこともなく、弱すぎて他者を危険な目に遭わせることもない程度のキャラクター作成は、プレイヤースキルのひとつである」という私の持論について少々語らせていただこうと思う。が、これはあくまで私の自論であって、同じ考えを持つ人ばかりでないことも知った上で話すつもりなので、これが正しいと人に押し付けるためのものではないとご了承いただきたい。

 レギュレーションの範囲でできる限り強力なキャラクターを作り、チームの生存力を確保する人がいれば、それだけ他者がキャラクタービルドに遊びを入れられるということでもある。
 逆にキャラクターの性質に合わせて、ちょっと遊びで使わない技能を取得したり、特殊なスキルを取得したりすれば、それを元にしたロールプレイも魅力的に映るだろう。

 私が言いたいのは、そういった自由や強さを確保しつつ、皆で“協力して”遊べる程度のキャラクタービルドを組むことは、それもまた他のプレイヤーやゲームマスターへの「尊重」だと思う、ということである。

 ゲームマスターが用意したエネミーを一人で蹂躙してしまうようなキャラクターを作成し、ゲームマスターや他のプレイヤーが不満を感じてしまったり、逆に一人、使いようのないようなスキルの組み合わせやステータスでプレイヤー枠を圧迫し、他のプレイヤーのキャラクタービルドの自由を狭めるなど、そういった事故は時折聞く。

 

 これが正義とまでは言わないが、少なくとも私は、敵のキャラクターを含めた他者の見せ場を奪うほどに強すぎもせず、他者の負担を大きくするほどに弱すぎもしないプレイヤーキャラクターを作成することは、一種のプレイヤースキルだと思っている。あくまで「プレイヤースキルのひとつ」としているのは、それが万人に当てはまることではないと理解しているためである。

 ダブルクロス3rdというシステムに当てはめて言うが、やろうと思えば敵を完全に封殺してしまうデバフエフェクトを満載にしてゲームバランスを著しく壊すことも可能なのだ。その派手と言うか、ある意味大雑把なバランス感覚は時に問題を呼び、たびたび議題にあがるほどである。逆に、セオリーを完全に外してしまえば、どうやったって使いようのないキャラクターも作れてしまう。
 この点に関して言えば、やろうと思えばクトゥルフ神話TRPGでステータス総合値130以上の化け物から、チビ(低SIZ)でヒヨワ(低STR)なダメージボーナス0軍人、ソード・ワールドでMPを持たないグラスランナーのソーサラー(魔法使い)といった、チート使いから茨の道まで歩こうと思えば歩けるのが、TRPGの面白いところだろう。

 その中で私は、あくまで「至ってセオリーを外れない、キレイな構成をしておこう」と決めたのである。
 前衛を選ぶ人が多ければ後衛を。範囲攻撃が必要ならば範囲攻撃を。回復役が必要ならば回復役を。他者のキャラクター作成を見ながら、自分なりに“協力”して遊べるビルドにする。セッション中誰がどんな役割を担うかを想像して、その人に足りないところを補ってもらうつもりで作成する。そうすると、よほどバランス調整が狂ったシナリオでもなければ、問題なく楽しめるものだという持論がある。

 

 一応、弁解しておくが、TRPGのシステムはゲームバランスが狂っているとか、そういう話ではない。データの集積であるルールブックを片手に、一般人の知力で概ね楽しく遊べるだけでもゲームとして十分であると思うし、ゲームバランスのその辺りは、GMやPLによる経験とバランス感覚の問題だと思っている。

 ちょっと強すぎたりちょっと弱すぎるくらいで問題になることは、実際のところ少ない。たいていは個人個人の「バランス感覚」で調整しているだろう。

 

 先述の「強すぎるキャラクター」や「弱すぎるキャラクター」を作成し、かつ、問題まで起こしてしまう人は、ひとつの共通点があると思われる。
 キャラクターを作成するときに、自分が「こういうキャラクターを作りたい」という欲望に忠実なばかりで、他者がどのようなキャラクターを作成してきているか、他者がどのようなことをやりたがっているかをほとんど気にしないのである。
 要するに「協調性」とか「バランス」とかいうものが全くない。

 協力型のTRPGで、「範囲攻撃型」「防御型」「単体火力型」といったスキルの組み合わせによるキャラクターの「役割分担」が明白になるゲームをやったことがある方ならご理解いただけるかもしれないが、大抵はそういうセッションにおいて、キャラクター作成のときに多少なりとも役割分担のために相談をする。相談をしなくても、周囲のキャラクタービルドを見ながら、「自分はこうしよう」と調整しながら作成していくはずだ。
 その調整を全く気にしない、ある意味協調性に欠けるキャラクター作成を行ってしまう人は、大体まかり間違ってそういう“協力”を放棄してしまったために問題を起こしてしまう。

 

 まあ、何が言いたいかと結論をまとめれば、協力型のTRPGでのキャラクター作成を行う場合は、他者がどのようなキャラクターを持ち込むつもりなのかを見ながら、その人たちと役割分担をするつもりで作るととても楽しいと思うよ、ということだ。

老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん

 論語には、

「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」
という言葉がある。

「老人には安心され、友人には信頼され、若者には慕われること」
という、意味である。

 

 これはこの言葉を言った孔子という人物が、弟子たちに「先生の理想の人物像をお聞かせください」と言われた際に放った言葉だそうだ。
 これが紀元前400年ほど前の人間の言葉とは、いやはや恐れ入る。
 実際このような人間んが数千年ののち、つまり現代に居るかと考えてみればなおのこと恐れ入る。人間とは悲しいかな、思った以上に学習能力のない動物のようである。

 考えてみれば、ごちゃごちゃ考えなくても、老人には安心されて、友人には信頼されて、若者には慕われる。そういう人物であれば、確かに他には何も要らないだろう。
 単純明快な基準である。

 

 上記の言葉の前に、孔子は弟子たちに「各人の志を言ってごらん」と促しているという描写がある。それを受けた弟子たちは、言われた通り、おのおのの志しを先生に語ってみせたそうである。

 ある弟子は「車や馬、衣や外套などの資産を友と分かち合い、友が衣を破っても恨み言を言わないことです」

 ある弟子は「善を行っても誇ることなく、人に苦労をかけないことです」……と、かたったそうな。

 このような話を聞いた孔子は、のちに弟子に聞き返されて、「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」と、簡潔に返したのだという。
 弟子たちはこの師の言葉を聞いて、一体何を思っただろう。
 数千年ののちにまでこの一連のできごとが残されて伝わっているところを見るに──当時の弟子の感動が偲ばれる。

 

「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」

……人としてこうでありたいものだと、私も深く頷く言葉だ。

障がい者とTRPGについての個人的所感

 ここでの「障がい者」は、心身ともにけがや病気など様々な理由によって、社会的不利をこうむる可能性のある人のことを指す。
 以降、その人が負っている心身の障碍を「障がい」、障碍により社会的不利を持つ人を「障がい者」と表記する。
 たいして、上記の障がいのない人を「健常者」と表記する。
 なお、これにしるすのはあくまで個人的私見であり、価値観を共有するためのものではないとする。
 要するに、独り言とか管を巻くとかそういうやつと思って聞き流してくれ、という意味である。

 障がい者TRPGの関係においては、
障がいのある人であっても、TRPGプレイヤーの一人として数えられるにじゅうぶん値すると判断する。その程度は健常者と全く同じである。
 ただし、同じであるがゆえに、必要以上の配慮はせず、その権利も責任も同等のものと判断する
 というのが、私の現状の結論である。

 

 噛み砕いて言うと、「障がいがあろうとなかろうと誰しも同じ大事な同卓者の一人にすぎず、障がいがあるからといって差別し、冷遇することも優遇することもしない。
 ただし、例えその障がいが理由で問題を起こしてしまったとしても、健常者と同じく、その問題で生じた同卓者の不利益について言及し、改善を要求する」
 もっと噛み砕いて言うと、「障がいも性格もジェンダーも基本的に何を抱えていようがTRPGにおける同卓者としては何も変わらない。だが同時に他者を不快にして全面的に許される理由にはさせねえ」…とする。

 

 以上。繰り返すがこれはあくまで私見である
 障がい者やマイノリティに対するTRPGのゲーム上の対応に関しては、それこそありとあらゆる方法や理念があるだろうし、あるべきだと感じている。
 各人が、それぞれの理解状況と優先事項に沿って、障がい者精神疾患のある方を卓に招き入れる際の対応を思案していただければ幸いだ。

初対面セッションの使用キャラの注意点

 オンラインセッションの募集を行うサイトや、コンベンションなどでは、初対面同士でセッションを行うことは何も珍しいことではない。かつ、TRPGというゲームの魅力的な特色として、やりたいと思ったキャラクター設定をセッションで使用することができる。

 だが、だからこそ、初対面の相手がいる場面では、キャラクターの設定に多少気を遣うことをおすすめしたい。
 読者諸氏もTRPGリプレイ動画などをよくご覧になるのなら、どこかでご存じかもしれないが、そもそも「初対面が集まる場で、顔見知りでないと許してもらえないような設定を持ち込むのは賢い選択ではない」とされる。

 この辺りを履き違えたために、プレイヤーとしての印象を落としてしまう人はこれまで多く見られたので、残念に思う。悪気がなくても印象は悪いという事実を、ここではっきりとさせておかねばなるまい。
 TRPGリプレイ動画では、独特な設定を持つPCや、若干ユニークすぎる言動を繰り返すキャラクターもいるが、それらは身内と呼べるような間柄の相手の「お約束」が確立されている環境であるから許されていることだ。初対面の相手が集まるセッションに持ち込もうものなら則・門前払いされても文句は言えない代物である。相当ノリのいいメンツかどうかの洞察は必須となる。

 以降の項目で、協力型TRPGに参加する場合にキャラクターの設定項目を考える時点で気を付けた方が良いことを、過剰書きで説明させていただこう。
 なお、以下の項目をクリアしたとしても「そういうキャラクターはやめて欲しい」と言われることもあると思われるが、その際は素直に引き下がり、またの機会にキャラクターシートを保留とすることをお忘れなきようお願いする。

【キャラクター設定の注意点】

◆まず客観的に見て、自分のPCが好感の持てるものなのか考えてみる

 キャラクターを作成する前でも後でも構わないが、自分の想定しているキャラクターが、“初対面の相手がいるセッションで実際に動いた場合に、相手に多少好感を持ってもらえる出来になるのか”というところを考えた方がいい。参加するセッションがもしシノビガミの対立型やらパラノイアなんかだった場合、そんな必要はないだろうが、協力型となると話は別となる。
 PCがお互いに協力して事件に立ち向かっていくというのに、PCから見てもPLから見ても「こんな奴と何で協力しているのか分からない」相手にしてしまったら、セッションの空気も冷え込むだろう。
 自分の作成したキャラクターを一旦客観的に見て、「ちょっと腹立つな……」とか「この子はちゃんと他の人と協力できるんだろうか」と思ったら、その時点で赤信号なので、そのキャラに引っ張られて大事故を起こす前に、可愛げのひとつでも生やしておくことを推奨する。
 初対面の相手が居るセッションに出すキャラクターは、もちろん初対面の相手に見せても恥ずかしくない性格だと思う程度にしたほうがよい。「キャラクターの身だしなみチェック」のようなものだ。

 

◆無機物PC、動物PCは可能なシステムでやること

 言葉が通じるかはなはだ不安な動物だったり、果てはそもそも意志を持って動いているのか不明な無機物が、しれっとクトゥルフ神話TRPGの探索者として動いていたり、喋っていたり……というのは、TRPGリプレイ動画ではよく見る光景である。私も、そういったユニークな発想は嫌いではない。
 ただし、お互い初めての関係で出すにはちょっと無謀すぎる。悪ノリが好きな「ルーニー」気質の人間だと勘違いされてしまうと、対人的に大きな損失だ。
 クトゥルフ神話TRPGで使用できるプレイヤーキャラクターは、原則「人間」である。動物や無機物PCがやりたいのなら、信頼を積み重ねてそんな無茶を許してもらえるように頑張ってみるか、そもそも無機物PCをしたところで誰も気にしないようなシステムをするとよい。

 私が知る限り、動物PC、無機物PCができるシステムは……「マモノスクランブル」やサプリメントを導入したダブルクロス3rdあたりだろうか。
 マモノスクランブルはそもそもが人外「マモノ」をPCとして扱えるシステムなので、カメラの頭を持ったスーツの男から、最悪リザードマンやモノの付喪神そのものをやっても誰も気にしない。ナラティブ系システムにはなるが、システムもカンタンなので初心者にもお勧めできる。

 

ハンドアウトがある場合はよく見て従うこと

 ハンドアウトに「あなたはどこにでも居る男子高校生で……」と、PCの細かい設定まで書いてあって、それはそれとして自分は「どこにでもいるバイク乗りのおじさん」がしたい、というのであれば、GMに相談することで合わせてもらえる可能性はある。その結果、うら若きヒロインに逆ナンかけられるおじさんが爆誕したりしたが。(1敗)
 ハンドアウトというのは、PCがシナリオ中に関わる事件に対するモチベーションや、きっかけを記したものである。ちょっと魔が差すなどして、そのハンドアウトから外れたキャラクターにしてみたい……という欲望は私もよくわかる。たまーにやりたくはなる。ただし、「ハンドアウトに従わないキャラクター作成は最も早い段階でのシナリオブレイク」とも言えるケースになりかねない。
 そういうわけで、ハンドアウトに従いたくない項目が混じっていると感じた時は、まずGMに「この設定をこうしたいのですが、変えていい項目ですか?」と相談してからキャラクターシートを作った方が良い。ハンドアウトに書いていない内容で、キャラクターシートに書いてある項目がGMの知るシナリオの内容と喧嘩してしまうという話なら……事故である。その場合も、しっかりとGMと相談することで解決できるだろう。

 

◆可愛げは3割増しくらいで表現する

ツンデレ」の加減を間違えてついに他のPCに嫌われてしまった、なんて事故は多い。事故か否かはさておき、折角楽しいはずのセッションが冷え切ってしまうというのは誰しも避けたいものなのだ。それは、誰かひとりが思っていることではなく、セッションに参加する全員の望みだろう。
 だからこそ、独りよがりで「自分がやりたいことに相手を付き合わせる」ようなキャラクターにしてはいけない。ツンデレで言うなら、ツンデレがやりたいという気持ちに相手を付き合わせて、相手のPCに罵詈雑言浴びせかけていいはずはないのである。
 ではツンデレという、嫌われかねないキャラクターをしてはいけないのか、と言われると、そう言うこともない。その辺りはちゃんと相談し、かつ相手に不快感を抱かせなければセーフなのである。ツンデレと一口に言っても、甘さの加減はチョコレートくらい多様化しているはずだ。要するにビターチョコレートではなく、ホワイトチョコレートくらい甘くしてしまえばいい。
 とはいえ「そのキャラクターはやめて」と言われたら素直に引き下がることは前提として、だ。

 

【特殊なキャラクターを持ち込む際の相談】

 では、初対面の相手がいるセッションで、対人を苦手とするようなキャラクターを持ち込んではならないのか、と言われると、私もその辺りははっきりと「ダメ」と断言できないところである。
 それはまさに「セッションによる」ところが大きく、やり方次第で許してもらえる可能性もあるのだ。
 それでも、対人に不安を持つキャラクターではセッション中に事故を起こしやすいのは確かなのである。
 もし、初対面の相手がいるセッションでどうしてもそういった特殊なキャラクターを使いたいと思っている時は、それなりの工夫が必要だ。

◆まず相談すること

 初対面の相手に、「こんなキャラクターなのですが良いですか?」と相談するのは勇気が要る。ただ、それは相手も同じことで、本当は相手を無差別に煽ったり、そもそも会話できるかすら不安なキャラクターを平然と持ち込まれて、「しょうじき不安です」と相談できないのである。その点は、キャラクターを持ち込む側が最大限配慮するべきことであると私は思う。
 対人に不安を残すキャラクターを持ち込む際は、「この子はこういった設定になりましたが、プレイヤー側から精いっぱいフォローを入れ、仲間に不快感を抱かせないように努力します」と、そのキャラクターが参加するにあたっての解決策を自ら提示することで、安心して受け入れてもらえる可能性が上がる。仲間として受け入れることに不安が残るキャラクターであることを自覚し、自らフォローを入れる気があるのなら、不安は払しょくされることだろう。
「そんなことは面倒くさい」「そんなことしたくない」と思ったのなら、そのキャラクターシートは事故を起こす前にお蔵入りにしておくことが一番安全だ。

 

◆プレイヤー視点からプレイヤーキャラクターにフォローを入れること

 セッション中にも勿論プレイヤーから自分のプレイヤーキャラクターに最大限のフォローを入れるべきである。キャラクターは「貴様らに協力などしない」と言っているが、プレイヤーとしては「情報は共有し、後で合流します」とメタ的フォローを入れるのを忘れないことだ。
 もちろん、フォローを入れれば何でもしていいというわけではない。

「すみません、悪気はないんです」とプレイヤーが言ってきたとしても、キャラクターが罵詈雑言を浴びせかけてきたら誰だって不愉快である。自由だからと言って、対人で遊んでいる場面であることは忘れてはならない。
 個人の許容範囲というものもある、自分はこの程度で十分協力できる性格だと判断していても、他人がそうとは限らない。多少の茶目っ気、多少のツン態度ですら、人によっては拒否反応を起こすこともありえるので、初対面相手に導入するキャラクターとして難しいタイプを選ぶ際は、特に注意が必要だ。

初心者向けのシナリオ

 以前、オンラインセッションを含めたセッション形式や、無料で遊べるTRPG初心者向けのTRPG、オンラインセッションの日程調整についてのまとめを公開していたが、
今回は、オンラインセッションの右も左も分からないオンラインセッション初心者の読者諸氏のために、TRPG初心者も含め経験の浅い方におすすめのシナリオについて、まとめていこうと思っている。

 諸氏のシナリオ選びの一助になれるなら幸いである。

 また、システムによってはあまり時間や人数の融通がきかないものもあるため、注意と覚悟は必要だ。とくに戦闘ありのシステムはなかなかその点の融通が利かない。

 

 

◆時間:短時間

 初心者に長時間のシナリオは少々荷が重い。時間がかかるということは、それだけ日程を調整する労力も余分にかかるということだ。1日3時間のシナリオを計5回で終わらせると仮定しよう。たいていの場合、セッションに対する自分自身の相性や、同卓者との相性などは、早ければ初日の第1回目、じっくり吟味してもだいたい3回目くらいでほぼ確定する。ただセッションに参加した時点で後に退きにくくなるため、苦痛と感じていても、数回は数時間のセッションを越える必要が出てくる。

 このことについては初心者のみならず、経験者の初見同士にも言えることである。初見同士で相手との相性が分からない状態で、長時間にわたるシナリオをプレイするのは少々リスキーだ。人同士、あるいはシナリオ、システムとの相性が悪かった場合、苦痛がただただ長引く結果になりかねないからだ。

 どちらもセーフティとしてセッションを降りる、という最終手段はあるものの、やはりそのようなことはなるべく避けたい。そのような方法を取らなくても、最初から1、2回で終了するような軽いセッションであれば、まだ心労も軽かろう。

 

◆難易度:カンタン ロスト率:低確率

 いわゆる「初心者向け」と銘打ったシナリオをプレイすることが望ましい。戦闘を避けることができるシステムであれば、戦闘のないシナリオ、戦闘が避けられないシナリオであれば、戦闘はあってもギミックを凝っておらず、GMもPLも楽にプレイできるようなものがよい。

 ロスト率についてはもちろん、初心者であるうちは自分がせっかく作ったプレイヤーキャラクターがあっさりと死ぬ感覚には慣れないだろうし、TRPGにはセーブ/ロードなんてないので、TRPG自体に慣れ親しむまでの間は、ロストを極力避けられるようなものが良いだろう。

 戦闘があるシステムではロストはもはや織り込み済みでプレイする必要はあるため、初心者に戦闘の存在するシステム、シナリオはお勧めしかねる。

 

◆人数:少なくとも初心者は1名までが推奨、少人数向け

 これは初心者に対応するGM向けであるが、システムやセッションに慣れていないことが分かっている初心者を入れる枠は1名までにしておくことが望ましい。他の枠は少なくとも、プレイするシステムを1、2回はプレイした経験のあるプレイヤーで固めた方が、GMは対処がしやすい。

 GMはプレイヤーが経験者揃いであっても、ゲーム中の処理や描写に追われ忙殺されがちである。初心者を加えるということは、その処理や描写の合間合間で、初心者に対する説明や質疑応答などを挟む必要がさらに加わるため、より忙しく、難しくなることは避けようがない。初心者の人数が増えればそれは倍々に増えていくと思っていい。初心者にじっくりと確実に対応するためにも、セッションに招く初心者の定員は通常1名まで、としておいた方が無難である。

 加えて、システム自体が最低人数が決まっているようなものでない限り、少人数向けのシナリオを選択することが望ましい。
 時間の話に戻るが、セッションというのは人数が増えれば増えるだけ、時間もかかる。テキスト形式のセッションでは特にこれが顕著である。人数が増えると終了時間も読みづらくなるため、かかる時間と読みづらさを考えて、初心者には不向きだ。

 それから、プレイヤーが3人にでもなれば大体は「よく発言するプレイヤー」と「あまり発言しないプレイヤー」の差が出てくる。「あまり発言しないプレイヤー」が初心者であれば、もしかするとその場合「よく発言するプレイヤー」の勢いに気圧されて発言しづらくなっているのかもしれない。よく発言することは何も悪いことではないのだが、初心者のうちは経験者の知っているそのバランスが掴めず、黙り込んでしまうことも仕方がないため、4人や5人のセッションになると非常にフォローしづらくなってしまう。その点でも、初心者を加えたセッションでは可能な限り3名程度の少人数で囲んだ方が無難と言えよう。

 

◆シナリオの内容:軽め

 いわゆる「鬱シナリオ」とか「NPCが死亡するようなシナリオ」は初心者向けには少々刺激が強いものになるかもしれない。当人がそれを自ら望んでのことなら、寧ろ積極的に行っても構わないだろうけれど、シナリオ達成の結果、PCは生き残るが少々後味が悪くなってしまったり、不安の残るようなものだと、楽しみ切れないまま終わってしまう可能性もある。

「あなたの活躍で事件は解決。以降被害に遭う人もいないでしょう。お疲れさまでした」といった程度のシナリオか、ほのぼのとしたシナリオをお勧めしたい。

 TRPGは多様な趣味嗜好に合わせてシナリオも多種多様なものがあるので、暗いものは本当に暗いし、グロゴアも加減の程度はシナリオ作者によってさまざまである。

 自分の許容範囲をゆっくり探りつつ、気長にTRPGを楽しんでいただきたい。

 

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正義はまれに人に盾ではなく、剣を握らせる

「人が最も残虐になるときは『悪に染まった』ときではない!

 真偽どうあれ『正義の側に立った』と思ったときに

 人は加虐のブレーキが壊れるのだ!」

   ──「氷室の天地」

 

 自分は正義側に立っている。相手は悪である。そういった考えが、その手にいつの間にか棍棒を持たせているのである。
 相手は悪だ。何を言おうとも、何を主張しようとも、相手が間違っているのだから耳を貸す必要はない。叩きのめせば良いのだ、と、その耳にささやく。

──果たして、それが正義ならんや。

 

 昨今、SNSでも話題のとある正義を語る団体さんとかが、だいたいこんなような攻撃のしかたをしていることはよくある。
 自分の正義を強く主張し、周囲が何を言っても、論点を逸らしたりブロックして聞く耳を持たず、何が起こっても、自分たちの行動で議論の場が荒れ狂っても、自分たちは正しい、相手が間違っている、と、主張し続ける。

 そうして、正義のこん棒で人を叩き続けるのである。
 はっきり言って、そうなってしまうともう「正義側に“正義”はない」と私は思う。
 正義を振りかざし、相手の言論を封じ、粛正してやるとばかりに攻撃し続ける。
 断言しよう。それこそは暴虐だ。

 

 ……大昔の言わずと知れた偉人、聖徳太子が「十七条憲法」でこのような言葉を遺している。

 

 我必ず聖に非(あら)ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫(ぼんぷ)ならくのみ。

(自分が必ずしも正義とは限らない。

 相手が必ずしも愚かであるとは限らない。

 それぞれに心があり、思うところがある。共に等しくただの人でしかない)

 

──これは私の自戒でもある。
 一個人の基準など、はっきりしたものだと思わない方が良い。人間自体、完璧ではないのだ。自分の持つ正義が総てにおいて通用するものであると、誰が喧伝できようか。
 自分は正義だ、相手は悪だなどと、そう簡単に思わない方がいい。それを続けていたのなら、いつか間違いなく、自分の方が落とし穴にはまりこむ。
 相手の掲げる悪だと思っていたものが、実はまっとうな主張であった時。自分の掲げる正義だと思っていたものが、土台からボロボロと崩れ落ちていく時。
 そこで戻れなければ、崩壊する「偽善」の泥船と共に沈んで、圧し潰されるのみである。

 あくまで主観。あくまで傍観。あくまでその手から、天秤を手放してはならない。