温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

君子に九思あり

 私の人生のバイブル、「論語」にこのような言葉がある。

「君子に九思(きゅうし)あり。

 見るは明を思い、聴くは聡(そう)を思い、色は温を思い、

 貌(かたち)は恭を思い、言は忠を思い、

 事は敬を思い、疑わしきは棟を思い、

 怒(いかり)には難を思い、得るを見ては義を思う」

 ここで言う君子とは、単純に立場の偉い人という意味でもあるが、こと「論語」においては、「人格も学問も優れた理想的な人間」という意味で通じている場合が多い。

「理想的な人間は常に九のことを心掛けている。

 物事を見るときは本質を見るようにし、

 人の話を聞くときは、その真意を聞き取り理解するようにし、

 人と接する時には、表情と態度は穏やかなものであり、

 姿勢と振る舞いは常に謙虚であり、

 その言葉はまっすぐで嘘がなく、誠実であり、

 事をするには慎重かつ尊敬をもってあたり、

 疑わしいことには真相をしっかりと確かめ、

 怒りがある時には、怒りを爆発させた後の面倒を考えて、

 自分の利益になると思ったことに関しては、道徳を弁えているかしっかりと考慮すること」

と、こういう意味だそうだ。
 以前にも言ったというか、これはこの先も延々とブログで言うであろうし、自戒を繰り返していくつもりなのだが、「TRPGとはコミュニケーションのゲームである」以上、上記で言うような人として理想的なあり方は、TRPGにおいても重要なのではないだろうか。

 今すぐ理想的な人間になろうとムリヤリを人に強いるつもりはない。そんなことは不可能である。私だって偉そうに紹介しているが、理想的な人間と自分などは天と地との距離があると自覚している。

 矛盾しているようだが、「理想的な人間」は「自分のことを理想的な人間」と思ってはいけないという持論がある。
「完璧な人間」「理想的な人間」などというものは大体の場合、幻想にほぼ近しいものである。理想や完璧は人により差異がある。いかに自分にとって理想的な人間であろうとも、それが他者の理想を満たせるものである保証はどこにもない。
論語」はそうした戒めの隣に、それでも「他者に信頼され、他者から愛され敬われる人間性をもつ」ための心得を教えている。

 

 完璧でないと自覚しているからこそ、私は常に上記のような言葉を胸に刻んで生きているし、ここで人と関わり、ゲームをするうえでは、かくありたいと常に思っている。
 上記のような言葉は、生活の中で直面する事象の中で、君子が物事を判断する時、人と接する時、怒りを抱いてしまった時の心構えを説いている。

 TRPGをプレイする時、まさに役に立つ格言ではなかろうか。