相手のことをある程度見抜くというのは、難しいようでいて、案外単純な条件にそってみていけば、あらかた掴めるものだ。
人には「特徴」というものがある。
論語にはこのような言葉がある。
「子曰く、その以(な)す所を視(み)、
その由(よ)る所を視、
その安んずる所を視れば、
人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。
人焉んぞ廋さんや」
(先生いわく。
その人が何をしているのかを見て。
その人がなぜそれをするのかを見て。
その人の行いが何のためであるのかを見れば。
どうしてその人の本性を隠せようか。
どうしてその人の本性を隠せようか)
その人が何をしているのかを、注意深く見る。
その人がなぜその行動を起こしたのかを十分に理解する。
そして、その人の起こした行動がどのような結果のためなのかを考察すれば
その人の本性が分からないはずはない。
という、言葉だ。
サスペンスなどでも、物語が進むにつれてこれらのすべてが見えて、犯人の輪郭がはっきりしてくることだろう。
犯人はどんな罪を犯したのか。
犯人はなぜその罪を犯したのか。
犯人は、どういった結末を求めてそれを行動に移したのか。
これらのことを正しく知ることができれば、どうしてその人が分からないといったことがあろうか、という意味だ。
その人のありのままを見て、ありのまま理解して、受け入れる。そういった器も、人を正しく見極めるためには必要な素質なのかもしれない。