温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

良く会話せよ

 結論から言おう。同卓者とは最初から密に相談をし、先入観を持たず、相手の話をよく聞き、自分の考えをよく話し、互いの理解を深めるべきである。

 TRPGは、そのどれかができない人には不向きなゲームと言える。

 肝心なことなのにいつもどこかしら忘れがちなのだが、テーブルトークRPGTRPG)というものは得てして、あらゆる価値観、あらゆる性格を持った別個の人間同士による対話をみなもととして展開されていくゲームである。そこにある正解と言うものは、思ったよりも曖昧な形を持っている。

 例えば、自分が練り上げた強いPCデータを敵と戦わせ、勝利を得ることが好きな人もいれば、データはPCのキャラクターを表現するためのツールの一つでもあり、シナリオにPCが関わっていくその過程を楽しみたい人もいる。そのどちらが間違いだと、本来は言えないもののはずである。

 

 そんなゲームに、かつて私は「最適解」を求め過ぎていた時期があった。
 今は多少マシにはなっているものの(大きく改善しているとは言い難い)、最初の頃は不慣れなこともあって、失敗を恐れるあまりに、「タブー」を毛嫌いし、明確な最適解を求め過ぎていた時期があった。
 TRPGを多くプレイしてきた先達がブログや掲示板などで発信しているノウハウを見て、影響され、時には人に押し付けすぎたことさえある。
 ロールプレイを楽しみたいGMとPLの気持ちをあまり理解しないまま、シーンが進んでいないと苦言を呈したり。まあ、正論ではあるのだが、そこであんまり正義を振りかざし過ぎると伝わらないものなのだ。鬼の首を取ったように間違っていると頭ごなしに言うのはご法度である。
 懺悔するが、そういう生真面目な委員長気質は、気を付けていてもあまり変わっていない面はあるだろう。

 

 TRPGをプレイするうえで、楽しむためのノウハウや決まり、ルールはある。ただ、人と人とが同じ脳、同じ目的を共有できるわけではない限り、ある程度「譲歩」やら「相談」やら「ヒアリング(相手の話を傾聴すること)」やらを使って、互いの妥協点を突き詰めるのが正解であって、自分の正解のみをそこに展開するのでは、TRPGをプレイしているとは言い難いのである。それがGMをする場合でも、PLとしてプレイする場合でも同じである。要するに、「独りよがりでは誰も幸せにならない」。

 分かりやすいのは、アリアンロッド2E公式サイトのスターターセットにある「プレイヤーブック」4ページに書いてある内容の通りだ。

TRPGに“勝敗”は存在しない。だが、あえて“勝利”を問うならば、GMも含めた参加者全員が“楽しむ”ことができた時だろう。時には自分のPCが死んでしまうこともあるかもしれない。冒険がうまくいかないこともあるかもしれない。だが、その過程の物語を楽しむことができれば、それは勝利なのだ。仲間と共に創り上げていく物語を楽しむゲーム──それがTRPGである

GMも含めた参加者全員が」楽しむことが重要であると説いたこの文は、私もTRPG初心者にこれだけは覚えていてほしい心構えとして、スクリーンに追加しているほど大切なことだ。時に経験者ですら、この根本的な基礎を忘れていることさえある。

 卓を囲む参加者の誰かが楽しむために、他のPLや、GMが苦しい、悲しい思いをしてしまったのでは、その卓はその時点で“敗北”なのだ。だからこそ、TRPGには常に対等な「対話」が必要であり、思いやりがなくては成り立たない。

 とはいえ時間も有限である。そう綿密に打ち合わせなどしている暇がいつでもあるとは限らないので、ある程度は自分のやり方にのっとってプレイすることだろう。基本的には、それで問題にはならない。
 ただ、個々人のプレイングやマスタリングの相性、性質が乖離を起こしてしまうこともある。そういった時、個人の正解は揺らぐ。

 

 もちろんTRPGには「やってはならないこと」がある。通常であれば忌避される行為と言うものは多く、失敗の蓄積として、そういったタブーには「劣化ルーニー」とか「地蔵」とか「卓修羅」とか名前がついて周知されている。
 上記で述べた、個々人の「正解」があるなら、こちらはある程度普遍化された「不正解」とでも言おうか。
 ただし、通常タブーであっても、それを誰も問題視しないセッションであれば、極端な話、地蔵だろうが卓修羅だろうが二窓行為していようが問題は無いと言える。上記で述べた、アリアンロッド公式が言う“勝利”の法則に則るとそういうことになる。私も、それで間違いはないと思っている。

 例えばシリアスなシナリオをのっけからぶち壊して、GMとの口プロレスで不戦勝を勝ち取っても、GMや他のプレイヤーがその奇抜なプレイを楽しんで不満も出なかったなら、よそ者がそこに泥を塗れた話でもないのである。傍から眺めていれば苦言のひとつでも呈したくなるのは、理解できるが。
 例えばPC同士で意見が割れるような演出をする際、互いに合意が取れていれば、そこに問題は起きないかもしれない。だがそこで突然ケンカを売ったものなら、大体の人はそれを嫌がるだろう。コンセンサス(合意確認)次第で正解にも不正解にもなることだってある。

 

 TRPGの難しさとは、こういった面にあると思う。
 ありとあらゆる価値観と性格の人間が集まって展開されるゲーム。
 その価値観のズレから、悪いことでなくても他人との軋轢を生んでしまうことや、逆に一般的には嫌われることでも、誰も問題視しないことで、その場では間違いでなくなることがある(もちろん、そこで問題にならなかったと言って、別の場所で問題にならないということはめったにない。そう言う意味では不正解と言えるので、危険をはらむやりかたは、しないに越したことはないのだが)

 

 公式リプレイでもある意味で伝説を作ったらしく有名な、かの田中天氏も、あのプレイングがリプレイとして世に出た当時は、形だけまねて肝心の空気を読むスキルが伴わない「劣化天プレイ」と称されるプレイングが流行って、たいそう悪い意味の話題になったそうだ。
 じゃあ田中天氏は何か特権でも得ていたのかと言うとそうではない。あれは信頼のおける仲間うちで、彼なりに鋭くGMの技量と場の空気を読んでおこなっていたことからまだ「劣化」ではなかったようである。
 というか、流石にそのテの業界の人が、例えば初心者GMの行う卓でもあんな通常運転なわけがない……と思う。

 

 そんなわけで、ヨソではできないようなプレイングだって存在するが、別にそれがどこでも不正解とも限らないのがTRPGの楽しさであり、難しさなのだ。

 

 また長々と話してしまったが、TRPGにおける正解とは常に、その場で変化していくものであることはつねづね感じている。
 ……それを敏感に感じ取り、その場での自分のやり方を見つけて上手く収まれること
 それもまた、TRPG熟練者と言えるのではないか、と、個人的には思う。

 因みに私はそれができていると胸を張って言うつもりはない。それができたら業界人かエスパーだろう。