温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

「とりあえず謝罪」は案外難しい。

 ……謝罪、というのは、いざ危険な状態になった人間関係を修復するために最も心強く便利に使える手段ではあるが、時と場合と私情次第で、最も難しい手段となり得る。

 

 1にも2にも、誰が悪いか悪くないかはとりあえず置いておくとして、とりあえずいの一番に謝って、そこからまた互いの意見をすり合わせよう……ということは、人の確執が起こった場合によく取られる有効な手段である。

 クレーム対応だと思えば少々納得もいく。ひとこと謝ることで話ができるようになる相手ならだが、「謝罪」というのは何かの過ちで人間の信頼関係が窮地にさらされたとき、もっとも手軽で確実な“対話のきっかけ”を作ってくれる言葉である。

 昔から「ケンカ両成敗」という言葉があって、「お互い冷静になれずにケンカをしてしまったなら、まずそのことをお互い謝って、改めてお互いの意見の相違点や妥協点なんかを冷静に話し合いなさい」という意味なのだろうと理解している。
 なので、私はまず人間として最低限第一印象で信頼できる相手の条件に「『感謝』と『謝罪』が適切に行える人」という項目が常にある。実際この判断基準は間違いがなく、常に適切なタイミングで謝罪と感謝を述べられる人ほど、信頼に足る人であることが多い。
 補足するが、感謝を述べるに値しない場面で感謝を述べたり、謝罪を言うべきでない場面で謝罪してしまうなどは、あながち正しいとも言い切れない。あくまで「適切なタイミングで」使いこなす人が、信頼に足るのである。

 

 だが、感謝も謝罪も、人同士の距離が狭まってくると、忘れがちというか、言いにくい言葉になっていくのだ。
 時と場合により理由は千差万別ではあるが、厄介なのは謝罪である。感謝なら言い忘れたってその時の信頼を破壊しはしないだろうけれど、謝罪を控えていると、崩壊はまぬかれない事態に発展することもありえよう。

 

 私も感謝と謝罪を適切に持ち言うことができる誠実な人間であると完全に自負しきれるわけではなく、寧ろ時折、そう思っていても相手に対する腹立たしさのせいで謝罪を忘れてしまうことがある。平時には、自分が全て悪いわけでなくともとにかく謝って、議論を軌道に戻すことが最も良い手段と分かっていても、私は未だ、怒りに震えた自分の心すら一人で上手く扱えた試しは無い。気恥ずかしいやら、腹立たしいやらで煮え立った自分の頭をいくら冷やそうとしたって、少なくとも一時間は収まらない。

 

 懺悔はこのくらいにしておくとして、そういったこともあるから、平時ではいくら偉そうなことを言っても、結局怒りに我を忘れた時の人間ほど、誠実さの本質が強く出るのだろう。
 怒りに節度を忘れてしまった後の「謝罪」は当事者にとっては非常に困難なことであるから。
 だからこそ、私は重ねて、「『感謝』も『謝罪』も適切に扱える人ほど、誠実である」と思うのだ。

 

 加えて、実際にケンカに発展したときは、何があったにしろその時点で双方謝るべきであると、私は考えている。人間、完璧なことは無いのだから、そこに年功序列も吹っ掛けた方も罪の軽さももはや関係ない。
 どちらかというとこの場合の『謝罪』は、お互いに歩み寄る姿勢があることを示す合言葉の役割を担うため、謝罪する気があるだのないだのの話はとりあえずゴミ箱にでもダンクして、後で手打ちでも何でもすることにして、どちらからともなく謝っておけばいいと思っている。

 だが、これが少しでも心得られる人というのも、案外あまりに少ないのである。