温森おかゆの雑文倉庫

主にTRPGについての個人的集積。

信頼を積み重ねるゲーム

 私は、TRPGに至っては「信頼を積み重ね、守っていくゲーム」だと、少々こむずかしく考えている節がある。
 TRPGにおいて重要視されるのは、人と人との意思共有、対話、“コミュニケーション”である。“コミュニケーション”という手段が、人と人の間の「信頼」を形作っていくと私は考える。それならば、TRPGはつまり、長い目で見るならば、「人と人との信頼を構築するコミュニケーションを繰り返すゲーム」という私の考えも、あながち間違いではないのではないだろうか。

 

 たとえば、個人のプレイングスタイルや同卓者への心配りといった一つ一つの言動。そういった“コミュニケーション”が、セッションの中で仲間同士の結束や、信頼関係をゆっくりと育んでいく。

 その感覚は、TRPGをプレイする読者諸氏ならお分かりなのではなかろうか。もっと簡単に言うと、共にセッションを終えて、「楽しかった。また遊びましょう」と言われるとか、「お友達になってください」と申請を頂く。そんなようなことである。

 

TRPGを嗜む人の間には「繰り返し同卓し、互いのやり方や人となりを見知った仲のプレイヤー」を広義的に「身内」と言い表すこともある。オンラインセッションの場でもこの意味の言葉は時折見られ、信頼関係を構築したTRPGプレイヤー同士が個人的につながり、好んで繰り返しTRPGセッションを行うことは珍しくない。

 この「身内」の状態は、上で述べたようにTRPGでの“コミュニケーション”で互いの「信頼」を積み重ねた末にできる特別な“縁”である。ありていに言うと、玉石混交の初見同士が集まる通常の応募形式よりも、1度2度同じ卓を囲んで互いに信頼できると感じた相手と卓を囲んだ方が、安定して楽しめるからという理由でそういったコミュニティが形成されることが多く、そこにはそれほど深い意味はないのだが。
 要するに、TRPGプレイヤー同士で仲良くなって「身内」と言える間柄になると、何かと得なのである。

 ある程度の土台がそこにあるからこそ、少々扱いづらく感じてしまうような特殊な設定や、キャラクター、舞台の世界観などを提示しても「この人なら」と、それまで積み重ねた信頼で許容してもらうことだってあり得る。それは当人が、ゲームの経験とは別に相手と築いてきた親密度と信頼関係の報酬である。

 

 だが、これも決して一筋縄で成り立つ幸運ではない。有名企業の不祥事、有名人のスキャンダルにも見るように、人から得た信頼と言うものは、その後の過ちひとつで簡単に崩壊してしまうことは皆さまもご存じだろう。
 私は日記の冒頭にて「信頼を積み重ね、『守っていく』ゲーム」と言った。いくら信頼を上から積み上げようが、片端から壊していくようなことをしていては続かない。信頼とは、砂上の城のようなものである。

 親しき仲にも礼儀あり。いくら親しくなったと感じる仲でも、人間は至って薄情なものと心せねばならない。誰ひとりとして、完全に心を共有できる相手などいない。だからこそ、人は関係を守るため、信頼を地道に積み重ね続けなくてはならないのではないか。

 

 その点に関しては、TRPGにおいても同じだ。

 初心忘れるべからず──と言うし、私は相手と初めて出会った時の緊張や不安をたまには思い出して、セッション中にもこまめに「このようなシーンがしたいのだが可能だろうか」「このキャラクターはこのような性格で少々扱いづらいのだが、PLとしてはこのような対処をすることで、他のPLが不快にならないようにフォローするつもりだ」など、コンセンサス得られるように気を付けているし、日頃の会話にしても、相手に誠実で、また正直であるように尽力している。

 そして、時折は甘えすぎなくらいには相手の好意に甘えたりもする。相手のご厚意を素直に受け取ることも、相手に自分の信頼を伝える立派な手段であることを知ったのは、つい最近である。卑屈なほどの謙虚と辞退は結局、厚意を向けてくれる相手への失礼となる。

 

 願わくば、多くの人にとって信頼に足るプレイヤーであることが、私の目標だ。

 目標には、まだ遠い。